『枕元の本棚』から、読んでみたいと思った本の一冊です。
というわけで今回紹介する本は『評伝 ナンシー関「心に一人のナンシーを」』です。
主な内容
消しゴム版画家でありコラムニストでもあるナンシー関について、彼女が残した文章や関係者へのインタビューを通じてその生涯が書かれた本です。
ナンシー関とは
ナンシーは、テレビ評を中心に「週刊朝日」や「週刊文春」にコラムを書いていた人です。文章に消しゴム版画を添えるスタイルです。もともとは消しゴム版画の仕事からスタートし、文章も書くようになったみたいです。
あとすごく体がでかかったらしい。2002年に39歳で亡くなっていますが、その数年前から友人たちはナンシーの健康状態を気にしてスポーツジムに行こうとか病院に行こうとか言っていたようです。
本書の表紙になっている版画の、ナンシーの斜め後顔と「けっ」というコメントから、ナンシーの人となりが良く伝わってくる感じがしますね。
印象に残った言葉
おそらくテレビ評がナンシーの真骨頂なのだと思いますが、それ以外の文章も面白い。むしろテレビタレントやテレビ番組に疎い私には、こっちの方が印象に残りました。
まずは「ナンシーの漢字一發!!」というコーナーから。これはナンシーが消しゴムで漢字一文字を彫り、その漢字について短いコメントを寄せるというもの。ちょっと引用します。
漢字:癌
「でっかい山まで覆う疒の懐の深さに、この命お前に任せたぜとつぶやきました」(93頁)
漢字:脛
「昔から怪しいと思ってはいたがついに出たか。巛ってのは何なんだ、責任者出て来い!」(同頁)
それから、プロレスの技名に関する文章も非常に面白かったので全文引用します。
「外国語を日本語に訳す時、直訳が最も正確に意味を伝えるとは限らない。日本の歴史や文化、状況を相対的に見て、時には辞書を無視することで名訳は生まれる。
プロレス用語もそうである。『ベア・ハッグ(熊の抱き締め)が『サバ折り』となるのは、相撲を国技とする国である以上当然である。そうでなくとも、あの技から『熊』ではなく『サバ』を連想したところに日本を感じると言ってもいい。それにもまして私が好きなのは『吊り天井』という名前だ。英語名は『リバース・サーフボード・ホールド』。しかしあの技は『吊り天井』以外の何物にも見えない。サーフボードがどうしたなどというカリフォルニアなタワ言に一切耳を貸さなかったところが素晴らしいと思う。『ボストン・クラブ』。カニだって言ってるのに『逆エビ固め』である。日本の文化は曲げられん、という気骨を感じる。『オクトパス・ホールド』を『タコ固め』と訳していたらと思うとゾッとする。『卍固め』だからこそ、猪木の名勝負もあり得た。技の形態を見るに『タコがからみつくように固める』は正しい。『どこが卍なんだ』というのもある。しかし言葉は文化である(山城新伍か)。あの技に『卍』を見た人に感謝する。/『アトミック・ドロップ』を単に『尾てい骨割り』としておきながら『ジャーマン・スープレックス・ホールド』を『原爆固め』としたところなど、その目の確かさに感服する。『ダブルアーム・スープレックス』を『人間風車』と訳したのは誰だ。もはや文学である」(286-287頁)
特にプロレスの技名に関する文章を読んだときは、ロシア語同時通訳者でエッセイストの米原万里に通じる(?)言葉への鋭さみたいのを感じました。いや、ナンシーの妹の名前が米田真里さんというので、つい米原万里を思い浮かべただけかもしれませんが。
友達は大事だぞ
さて、ナンシーが売れっ子コラムニストになる最初のきっかけはなんだったかというと、広告学校で出会い、マブダチとなった白木理恵でした。ナンシーが暇つぶしに作った消しゴム版画を白木に見せ、それを面白がった白木が恋人のえのきどいちろうにその版画を見せたのがきっかけだったのです。えのきどは<シュワッチ>というライター事務所に所属しており、その関係でイラストレーターとしての仕事が始まったというわけ。
きっかけってのはひょんなところにあるのだなと思いました。暇つぶしに消しゴムを彫るナンシーがいて、それを面白がってくれる友達がいて…幸せな始まりだ。
心に一人のナンシーを
本書の副題にもなっている「心に一人のナンシーを」は、「自分で自分に突っ込む姿勢を持っていようよ、ってこと」(299頁)だそうで、ナンシーは常に自分を相対化して見ることができ、決して舞い上がることがなかった人だったようです。
面白くて毒がある、そんなナンシーの書いた文章をもっと読んでみたいと思いました。