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『いつか王子駅で』(堀江敏幸)【感想】

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本棚の整理をしていたら、堀江敏幸の小説やエッセイがたくさん出てきました。なつかしくて手に取りました。

ということで今回紹介する本は『いつか王子駅で』です。180頁程度の長編小説です。

あらすじ

語り手は翻訳や時間給講師をしている「私」です。

ある夜の居酒屋で、仕上げた実印一式を大切なひとに届けにいくと言って店を後にした印鑑職人の正吉さん。私は彼が忘れていったカステラを届けようとするが……。

居酒屋の女将さん、大家さんとその娘、過去の名馬たちと古書。忘れがちな日常の風景を丁寧にすくった市井の物語。

感想

咲ちゃんかわいい

登場人物に大人のひとが多い中で、中学生の咲ちゃん(「私」が借りている部屋の大家さんの一人娘)の可愛さがひときわ目立ちます。例えば、「私」がもんじゃ焼きを食べないかと咲ちゃんを誘う場面。

おばちゃん、おばちゃん、このひとわたしの先生! 座るね、とほがらかに申告した。あらあらと驚く店の女主人の表情を窺うかぎり、咲ちゃんはここの常連らしい。いつも部活の女の子と来てるから、男のひとといっしょだなんて説明がいるでしょ、あっは、と咲ちゃんは美しい歯を見せ、誘われた以上は好きなものを頼まざるをえないよねとへんな言い回しを使ってイカやら豚肉やらがぜんぶ入った≪スペシャル遊園地もんじゃ」をふたつ注文し、ソースの混ぜ方が決め手なのよ、カレーより得意だから任せてねと一人前の口をきいた。(99-100頁)」

「あっは」という笑い方が心地いいです。

待つこと、変わらないでいること

決められた時間に、決められた相手と、決められた目標にむかって一歩一歩進んでいく作業の源は、漠然とした社会の総意のうちにある。誰が正しくて、誰が悪いという判断を停止したまま時間の流れに乗ることが処世なのであり、生活能力を支える金銭との交換を考えればそれはそれで有意義なことだろうが、なすべきことを持たずに一日を迎え、目の前にたちふさがる不可視の塊である時間をつぶすために必要な熱量は、具体的ななにかを片づける場合よりはるかに大きい。(85頁)」

変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわかってくるような暮らしを送るのが難しい(156頁)」

待つこと、変わらないこと、受け身であること。ビジネス書などを読むと否定されがちなこれらの状態も、意識的にそうあろうとするのはなんと大変なことだろうよ、と思いました。自分はこれらの言葉を理解するには人生経験が足りないというか、繊細丁寧に生きていないなと思いつつ、こういう考えに憧れたりしています。

つまるところ、そんな考えをもつ堀江敏幸の書く人が好きだ、と思いました。