ミステリー

『死が最後にやってくる』(アガサ・クリスティ)【感想】

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古代エジプトが舞台のミステリとはどんなものかしら。ということで今回紹介する本は『死が最後にやってくる』です。

あらすじ

時は紀元前2千年、エジプトはナイル河畔のシーブズ。墓所僧インホテプはその一家を支える大黒柱だ。絶対的な父インホテプに対し、息子たちはそれぞれに不満を抱いていたが、インホテプが仕事先から若い妾のノフレトを連れ帰った日から、その憎しみが姿を現す。そしてついにノフレトが死んだ! しかし平和な日々は戻らない。一人、また一人…彼らを殺すのは死せるノフレトの呪いか、生ける人間の悪意か?

やっぱり人間関係が大事

古代エジプトが舞台ということで(?)死んだノフレトが現れてインホテプ一族を殺害しているような描写があります。でも別にそういう超常現象的なトリックではありません。むしろトリック自体は単純なものです。クリスティ作品らしく、やはり人間関係というか、それぞれの登場人物の性格が重要です。

絶対的な権力をもつインホテプ。従順な長男ヤーモスとその態度にいらだつ妻のサティピィ。陽気な次男ソベクとその妻で子どもを溺愛するカイト。甘えっこの三男イピイなどなど。ここに若い妾が投じられたらそりゃ揉めるわな、と思いました。

冒頭の作者のことばにもあるように、舞台は紀元前ですが、そこで起こった事件は現代で起こってもおかしくないような、普遍的なものだと思います。

解説も大事

今回一番印象に残ったのは深堀骨氏の解説でした。一部抜粋します。

優れたミステリとは悉皆、人間関係の綾を見事に描いた小説だと云う確信が俺にはある。奇抜なトリックや意外な犯人、どんでん返し等の要素が如何に優れていたとて、人間関係の綾が上手く描かれていなければ、それはミステリとしては二流、三流である(423頁)」。

ある複雑に縺れた人間関係が描かれた小説があるとしよう。これを内側から描けばミステリではないが、外側から描けばミステリである(423頁)」

そしてアガサ・クリスティのことをこう称します。

「人間関係の綾(並びにその錯誤)」を描かせれば天下一品なのであり、それ故に彼女は「ミステリの女王」と呼ばれるのである(427頁)」

確かにそうだなぁ、と思いました。

しかし解説を読むと読みたい本が次々と出てきて困ります。例えば私の大好きなクリスティ作品『葬儀を終えて』については、「クリスチアナ・ブランドを彷彿とさせる大胆なトリック(427頁)」なんて記載もあり、このブランドさんが気になったり、はたまたミステリーではないけど人間関係の綾を描くのが上手い作家として挙げられている人(マキューアンとか)の作品が気になったり。

読書とは、まっこと尽きない楽しみですね。